四季
自然界が表す四季はそれぞれ違う独特な美しさが反映されている。
春といえば桜が満開になって街中を期待で包む時。
夏といえば梅雨、町中が蒼茂る時だ。
秋といえば葉っぱが紅葉して鮮やかになりつつも、冬を迎えるために準備を始める。
冬といえば寒さを耐えながらも春を待ち望む。
自然界の四季はクリスチャンの信仰の歩みにも例えることができる。
華々しい信仰生活、これこそイエス様!と賛美が溢れる時期が春。経験を通して神様の 豊さと愛を味わえる時期。
いろんな意味で自分の成⻑を感じ、見える形で実を結ぶ事ができている夏。
変化を象徴する秋。教会の中で、仕事関係で、人間関係でいろいろ変化を迎え、影響さ れている時期。または環境は変わらないのに、自分の反応が変わりつつある時。今までは落ち込んでいても賛美を教会で心尽くして歌えば元気になれたのにその反応が生ま れない。
一番のチャレンジは冬かもしれない。それは今まで葉っぱで追い隠していた事を裸にさ れるような経験。孤独で包まれ、「主よ、あなたはどこにいるのですか?何をしている のですか?今までのようにあなたのことを感じる事ができないのはなぜですか?」という疑問が一番ある時期だろう。
神様は私たちの感情で測れるお方ではない。たとえ、その愛しい臨在を感じる事ができ ない時、そばに必ずいてくださっているお方。でも堕ちた世界、主の御手によって全て が新しくされるその時まで、葛藤があり、悲しみがあり、疑いを避ける事ができない、 主の沈黙が不安に感じる時もあるかもしれない。
そのお方が、どのような時期にあっても、「わたしにとどまりなさい(ヨハネの福音書 15章4節)」と私たちをより深いところへと招待してくださっている。
そのことを絵で表現してみた。一つの木が鮮やかな色を用いて四季を表している。現実 の世界では見る事ができない木の根は、どの季節にあっても主に留まり続けよと呼びか けている。この画を通して、それぞれ自分が歩まされている季節に対して励まし、慰 め、そして何よりも希望を見出してもらえたら光栄です。
私は特に冬を歩んでいると感じている人々にこの絵を通して励ましを送りたい。冬の枝 は他の季節と違って鮮やかな花や葉っぱも何もない。ただありのままの姿をさらけ出さ れたような状態。でも冬こそが他の季節を迎えるために不可欠な時期なのだ。
だから冬はその枝にすべての季節の色を含んでいる。春の桜色も、夏の緑色、秋の茜色も。冬を主と共に耐え忍んでこそ結ぶことのできる美しさがあると私は信じている。あ らゆる季節を歩んでいる人々にスピリチュアルディレクターとして同伴させていただく この尊い機会を光栄に思う。
「この希望は失望に終わる事がありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によっ て、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ5章5節
執筆者:山田桂子