「嫉妬の用法」2022年4月 羅府新報 掲載

 「嫉妬の用法」2022年4月 羅府新報のために執筆したコラムです。
 南キリスト教教会連合 羅府新報掲載


 「嫉妬の用法」

夫の不倫によって心に傷を受けた女性の方が泣きながらこう言った。「夫がやったことでどうして私が心を患い、治療を受けなければならないのか。悔しい。」性的な裏切りはトラウマとなり、戦争に従軍している軍人に起こるものと同じ心的外傷後ストレス障害(PTSD)を引き起こす。ショック、不安、パニック、怒り、不眠、抑うつ。とてつもない精神的衝撃である(参照:Keffer, S. (2018). Intimate deception, Ch.3)。

嫉妬、この取り扱いが難しい感情を聖書から見てみよう。

聖書にはねたみの概念を示す言葉が複数あり、時に神ご自身を表す概念として肯定的に用いられる(出エ34:14)。神のイスラエルの民に対する愛の表現としてねたみが使われる場合、ヘブル語でקִנְאָה (qinah) ギリシア語で ζῆλος (zēlos)、英語ではjealous, zealがより近い訳語である。一方、ねたみが罪深さとして言及される場合(マルコ15:10等)はφθόνος(phthonos)、envyに意味が近い。Jealousは神の愛の表現の一部だが、envyは悪意、敵意からの攻撃を含む罪深いものである。

この2つの概念にはもう一つ大きな違いがある。「嫉妬(Jealous)が所有するものの保護を望むのに対し、羨望(Envy) は現在所有されていないものを所有したいという怒りを伴う願望である。」(参照:Thoennes, K. E. (2005). Godly jealousy

これは即ち、私たちは自分に所有権がある対象にのみ嫉妬(Jealous)が出来るということを示す。自分に所有権がない場合、嫉妬できないということだ。自分の所有の範囲外の対象を欲する場合は羨望(Envy)になる。

実際の例に適応してみよう。夫が自分以外の他の女性と不適切な関係を持ち、それに対して妻が嫉妬するのは当然の反応となる。妻は神の愛、独占的な愛に対する脅威に対し神的な嫉妬を示しているということだ。忠誠を誓った愛に戻ってほしいという愛の表現である。

しかし、問題はこの神の在り方の一部を表現したとしても、関係の改善は保証されておらず、それどころか本人は病的な状態に追い込まれていくところだ。嫉妬の狂気から心を守りつつ、聖く表現するというのは、人にとって非常に難しい。

嫉妬が神の性質の反映であるならば、私たちを神の像に精錬する役目がある。神に栄光が帰されるように表現されなければならない。神は嫉妬を正しく表現し、神の栄光は悪によって貶められてはならないという意思を表示した。花嫁であるイスラエルが背信行為を改めない時、神は自らの誉れが侵害され続けることを許さなかった。

なぜ私が嫉妬に苦しまなければならないのか、嫉妬は意味のある苦しみなのか?答えが出しにくい問いに、今苦しんでいる方がいるかも知れません。分かることは、嫉妬の渦の向こう側にはあなたにしか到達できない境地があるということ。神は正しく歩むものに勝利を見せてくださる。嫉妬、このおかしな姿のガイドが現れる時、あなたを正しい決断と行動に導きますように。

ソウルケアミニストリー代表

池田モース優美