「キリストのゆりかご」2023年12月 羅府新報 掲載

 「キリストのゆりかご」2023年12月 羅府新報のために執筆したコラムです。
 南キリスト教教会連合 羅府新報掲載

キリストのゆりかご

Covid-19、マスク、ワクチン、大統領選挙、ロシア・ウクライナ、イスラエル・パレスチナ、インフレ、円安...ここ数年で私達は、いくつもの大きな変化を経験しました。2023も残すところ僅か。皆さま、本当にお疲れさまです。

賛成か反対か、◯◯派か、XX派か。近年、社会には対立が生まれやすい問題が溢れています。友人や家族と、楽しくのんきにコーヒーを飲んでいたら、何らかの話題で突然議論になることがあるでしょう。和やかな雰囲気は一転し、間違っていると激怒され、よく分からない話が始まる、ということは、珍しくない光景になりました。

議論となる問題は様々ですが、背後には共通する精神性を感じます。余裕のなさ、強迫的な心情、不安、他者を間違っている、劣っていると断定する。意見の違いは、対話ではなく対決になります。

カトリックの著名な思想家であるヘンリー・ナウエンは次のような言葉を残しています。

「霊的な成長は私達を、神についての知識を誇る高慢な境地へと導くのではなく、「学識ある無知(ラテン語:docta ignorantia)」、すなわち 「知らないということを、正しく理解すること(articulate not-knowing)」へと導くのです。」

Nouwen, Henri J. M. "Spiritual Formation” Ch.1, HarperCollins.

未知を受け取る

今年もクリスマスの季節になりました。クリスマスが人を幸せな気持ちにする、一つの理由は、クリスマスの心でしょう。恵み、憐れみ、希望、温かさ、受け入れる心、与えること...この精神は聖書のキリストの生誕のメッセージから流れています。

聖書のクリスマスの物語は、理解を超えた啓示、未知との出会いの物語です。キリストは、馬小屋の飼い葉桶、貧しい人々の間に生まれました。人の理解を越えた啓示を受け取る精神的・物理的空間は神殿や王宮ではなく、市井の人の間にあったのだと思います。

理解できないけれど、ヨセフはマリアと幼子イエスを受け入れる、優しさと誠実さを持っていました。

確かではないけれども、東方の博士たちは、遠い国に旅立つ勇気と未知のものへの熱意がありました。

恐怖を感じたけれど、羊飼いたちは素直に温かい心で行動出来る人たちでした(ルカ2:9)。

予測できない未来だけど、マリアには神への信頼と霊的な思慮深さがありました(ルカ2:29)。

キリストのゆりかごになったのは、理解を超えることを受け入れる人たちの、寛容さ、温かさ、謙虚さでした。

短気でせっかちな世界だからこそ、私達はナウエンの言う「知らないということを、理解する」心の空間が必要だと思うのです。

キリストの命が息吹くゆりかごを自分の中に保っておきましょう。私達は他者からのラベル付けから自由です。私は裁かれない、裁く必要もない。何者かである必要もない。分からない状態でいること、考える過程を通ること、思いを巡らせ、自由で穏やかな心に住むことができます。

愛する人達との団らんの時に、滅入りそうな議論が始まりそうになったら、キリストのゆりかごを揺らしてみて下さい。神の恵みが地上に息吹く季節となりますように。

池田モース優美

セカンドレベルミニストリー/ソウルケア代表


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