コラム
『 百万人の福音 BIBLE&LIFE』「神のかたち」で生きる霊性入門 4月ー「察して」をやめるー伝えることに責任を持つ

いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しております。 連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』は様々な執筆者の方々の有益な記事や情報が満載です。最新号にてぜひお買い求めください! ※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。 「察して」をやめるー伝えることに責任を持つ 「神のかたち」を自分自身の生活の中に形作ってゆく、というテーマでお届けしています。今回は自分自身を表現することの大切さについて、一緒に考えてみましょう。 長年家族、夫婦の問題を扱っているプリペアー・エンリッチJapanの西岡まり子先生が次のように仰っていました。 「コミュニケーションはキャッチボールです。相手が受け取ることが出来る球を投げましょう。ドッジボールではいけません。」 なるほど、と思いました。夫婦関係に限らず、私達のコミュニケーションは時に、相手とのやり取りを通して結論に至ろうとする対話ではなく、どちらが正しいか、どちらが優位かを示そうとする「対決」になっています。 あなたの意思、そして願いはあなたの形です。自分自身の人格と霊性を確認する過程です。自分の意思を伝えることの価値と責任、伝える方法について、2つのことをご紹介します。 1. 意思表示の大切さについて「露呈(開示)の法則」ー『境界線』から 『境界線』ヘンリークラウド/ジョン・タウンゼント著に「境界線の十の法則」という章があります(5章)。 法則10:「露呈(開示)の法則」 「露呈の法則とは、あなたの境界線は他者から見え、関係の中で彼らに言葉で伝えられるべきであるということです。...私たちは、恐れのために境界線の問題を、暗闇の中に隠してしまうことがあります。それは、サタンに攻撃の機会を与えます。 ...本当の愛への道は、境界線をオープンに伝えることです。」 私達の願いは、私が誰で、何者であるかということを示しています。 察してください、汲み取ってください、という精神は日本文化の中では多く期待されますが、これは解決するべき方向性を混乱させます。まず、何を伝えたいのか曖昧であるため、誤解が起きるということ。もう一つは、本人の問題が見過ごされるということが挙げられます。 例を挙げましょう。「(夫婦関係で)あなたのパートナーにどのようなことを期待しますか?」と質問すると、このような答えが返ってきます。「そうですね、私のことを不安にせず、思っていることを察してくれて、大切にしてくれることです。」「大切にしてくれる、とは?」「私が必要と思った時に、メッセージをくれて、私の願う答え方をしてくれる...。」「可能だと思いますか?」「いいえ。」 願いが思った通りにならないために、相談に来ていることは明確なのですが、このやり取りをすることは大切です。願いを言葉にすることで、自分自身が見えるのです。 現実的な願いか、謙遜さがあるか、相手のことを配慮しているか、願いが独りよがりになっていないか、自分に求められたら出来ないことを、相手に一方的に願っていないか。 察してくれない環境や誰かについて不満を持っているとしたら、その責任のボールは、問題を明確に伝えるまで、当人の側にあります(高齢者や幼児、精神や身体にハンディキャップがあり、意思表示の能力が十分でない場合は別です)。 伝えることで状態が悪化する方、また悪化する可能性がある方にとっては、ご自身がいらっしゃる環境や関係性について考える機会になります。状況と自分自身の願いが相容れない状況にあるとき、どのような人たちに囲まれ、どのように生きたいのか、考えてみてください。 『境界線』は、20年程前に書かれた本ですが、信仰の面でも非常に良い指針が記されている名著ですので、ぜひ一度ご覧になってください。 2.アサーティブネスー健全な意思表示の方法 伝え方がわからない、という声をよく耳にします。なるほど、伝え方が分からず、ボールを持ったままにしたり、投げたかと思えばドッジボール。分かりにくい伝え方、変化球ばかり投げる人もいます。 アサーティブネスは、自分と相手の意見を尊重しながらコミュニケーションを取る方法です。適切な言葉、言い方で自分の意見を表現します。 「愛は礼儀に反せず」(Iコリ13:5)と聖書にありますが、まさに、礼儀を実践するためのコミュニケーション方法です。次のようなことを心がけてみてください。 ・アイ(I,私)メッセージを使う。 「私」を主語にして話してみましょう。「あなたは~してくれない」「みんながこう言っている」という言い方は、伝え方が曲がります。伝えたい事があるのは「私」です。「私」の願いとして、なにをして欲しいのか明確に意見を伝える必要があります。 例えば次のとおりです。「私は~してもらえると、嬉しいです」「私は~されると悲しく感じます。違う方法、言い方をお願いできますか。」 ・建設的、肯定的な言葉を用いる。 アサーティブな会話では、自分の意見を相手が受け取りやすいように伝えます。そして相手の意見も丁寧に扱います。理解できない、意見が違うからと言って相手を攻撃したり、否定的な態度をとらないように気をつけましょう。 ・相手に敬意を払い、丁寧にお願いする。 協力や信頼関係が必要な関係では、相手の意見やペースを尊重することが長期的により深く強い関係を生み出します。 意見が違う場合、同意するかしないか、それぞれに選択の自由があります。私達が納得できれば同意すればよいのであり、出来なければ同意する必要はありません。しかし敬意を払う必要はあります。敬意を払う、とは、相手の意見を尊重し、理解しようとする姿勢です。 良いか悪いか、正しいか正しくないか、と仕分けされる世界観から離れ、異なる考え方、感じ方があることを理解する空間、それぞれの考えと生き方に息をする空間があること、それが互いの意見を尊重するということです。 アサーティブネスについては行動療法やビジネスの世界で多くの情報やトレーニングがありますので、興味がある方はぜひ調べてみてください。 あなたの願い、選択、意思はあなたに与えられた、神のかたちの一部です。神の光の中で自分の意思と願いの中身を点検すること、そして周囲がキリストを感じるように表現すること。 簡単ではありませんよね。しかし、取り組む価値のあることです。 あなたの意思が神のかたちとなって示されるとき、それは世の光、周りの方々への祝福となるでしょう。 ※出版権の関係により、無断で不特定多数の方に配布しないようお願い申し上げます。引用の際には出典、『百万人の福音 Bible & Life』いのちのことば社※月号、を明記下さい。

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コラム
『 百万人の福音 BIBLE&LIFE』「神のかたち」で生きる霊性入門 3月ーあなたの「かたち」を考えるー感情を見つめる

いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しております。 連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。 『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』は様々な執筆者の方々の有益な記事や情報が満載です。最新号にてぜひお買い求めください! ※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。 あなたの「かたち」を考えるー感情を見つめる 「神のかたち」を自分自身の生活の中に形作ってゆく、というテーマでお届けしています。 今日はあなた自身が、どこに向かいたいのか、心の中にあるもやもやとしたものを、どのように取り扱い、自分自身で納得できるところに進んでいくか、一緒に考えてみましょう。 信仰者の方とお話すると、面白い共通点があります。話の核心に辿り着くまでに時間がかかるのです。「あなたは、どう感じていますか?」と聞くと、別の話を始めます。問題に思っている教会員や、家族の話、そして、不満を持っている自分を恥じるかのように、聖書の話。 「〇〇がこうなってもらえたら、いいなと思っています。聖書はこう言ってますよね。だから、こう考えるべきだと思っています…。」 「聖書はそう言ってますね。あなたはどう思っていますか?聖書を脇に置いてみましょうか。あなたがどう感じているか、聞かせて下さい。」 すると、話している方は急に静かになります。上を向いたり、下を向いたり、ため息をついて眉間にシワを寄せ、一生懸命考えます。「私?私は何をしたいのだろう?私が感じていることって何?」という具合です。 クリスチャンとして生きる時間が増えると、ますます分からなくなる質問なのかもしれません。私は一体誰で、何を考えていて、何がしたいのか…。不思議ですね。 私がなにをしたいか、ということよりも、目の前の問題を解決することに精一杯なのかも知れません。 教会では、自分を捨て、自分を犠牲にし、教会と伝道に従事することが模範であると教えられる。家族から、社会からは「~らしくあれ」と求められる。 そして、いつの間にか私が何を感じているのか、なにをしたいのか、考えることも恐ろしくなってしまう。聖書や世間が自分に期待している役割以外、「自分」には生きる場所も、息をする場所も無い。「透明人間」という古い映画のように、役割という包帯が剥がれたら、その下に見える顔がない。 私の輪郭 結婚関係のクラスで、カウンセリングの教授が模範演技を見せてくれました。10分のロールプレイの中で、質問の回数は3回。それも、同じ質問をしました。「あなたはどう感じていますか?」 これを読んでいらっしゃるあなたにも、同じ質問をしましょう。 「いまあなたの心の中に抱えている心配や、不安。それをよく見つめてみて下さい。あなたは、何を感じますか?」 痛くて辛い質問かもしれません。この質問の意義は、感情を通して、私達自身に触れるというところにあります。包帯の下に何があるのか、あなたのかたちを確認する手がかりです。 感情ー喜び、怒り、悲しみ、恐れ、驚き、不快、等を通して、私たちは、よく分からなくなってしまった、自分自身の声が聞こえるようになります。 感情がなぜ大切なのか、私達の霊性とどのように関わっているのか。次の言葉はとても良く表しています。 「感情的に未熟なまま、精神的に成熟することはできません。感情を無視した生活をしていると、クリスチャンとしての規律や活動、行動をしていても、過去に深く根付いた行動パターンが、キリストにあって成熟した本物の人生を妨げることになってしまいます。…その結果、私たちは精神的に幼いままで、キリストにあって精神的、感情的に成熟した大人に成長することができない危険性があります。 」Scazzero, P. (2019). In Emotionally healthy spirituality (p. 9). Duranno Press.  感情についてお話すると、次のような質問を受けます。 「感情に従うことは良いことなのでしょうか?感情は当てにならない、感情ではなく、意思を大切にすることを教えられてきましたが。」 「ネガティブな感情は忘れて前に進むように教えられてきました。ネガティブな感情に向き合うことは良いことなのでしょうか?」 感情を大切にする、とは感情的な人間になれと言っているのではありません。感情があなたの主人になるのではなく、あなたが感情の主人になるように、ということです。 多くの人が自分が感じていることが分からず、うつになります。もしくは、感情が赴くままに、不機嫌を周りに撒き散らします。そうすることが当然だと思っているのです。 感情の主人になるためには、あなたの心のなかで何が起きているのか、理解できなければなりません。感情は、心のシグナルです。自分をよく理解し、表情を持ったあなたが、イエス・キリストと出会うのです。どこに向かうべきなのか、キリストと語り合う、あなた自身が声を取り戻す必要があります。 ネガティブな感情はどのように取り扱えばよいのか。私はよくピアノの鍵盤に例えます。どの音階でも、一つの鍵盤の音が出なければ、演奏できる曲が限られるでしょう。もしくは、歪な曲が出来上がるでしょう。 多くの鍵盤の音がでるからこそ、調和のある、より完成された曲が奏でられる。そんな風に、あなたのネガティブな感情も、あなたの人格を調和させ、完成させる力を持っている。それを、制する力を身に着けていくことが成長、あなたの中に、神のかたちが形作られる過程です。 あなたの心の中のもやもやは、あなたを豊かにする力を持っています。扱いにくい雲かも知れませんが、もやもやが何を言っているのか、耳を済ませてみて下さい。 もやもやと向き合っても、気持ちが落ち込むだけで、解決が難しいという場合は、積極的に周りにいる霊的な指導をくださる方に指導を仰いで下さい。あなたが、安心して話せる人が良いです。 今回は、自分の心を理解する大切さと手がかりについてお話しました。次回は、自分自身を表現することの大切さについて、一緒に考えてみましょう。 ※出版権の関係により、無断で不特定多数の方に配布しないようお願い申し上げます。引用の際には出典、『百万人の福音 Bible […]

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いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』
『 百万人の福音 BIBLE&LIFE』「神のかたち」で生きる霊性入門 2月ー「神のかたち」との距離感ー課題はどこに

いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しております。 連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。 『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』は様々な執筆者の方々の有益な記事や情報が満載です。最新号にてぜひお買い求めください! ※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。 「神のかたち」との距離感ー課題はどこに 前回「神のかたち」についてお話をしました。今日はこれを読んでいる皆さんの生活のなかで、どのようなところに「神のかたち」が必要か、一緒に考えてみましょう。 実体的解釈ー人間性の問題 実体的解釈は、人間性の問題です。私たちがイエス・キリストの人格に似ているかということです。あなたを取り囲む人たちが、私たちの生き方や考え方に触れることで、イエス・キリストを感じるかどうか、次の質問を考えてみて下さい。 機能的解釈ー関係性の問題 関係性についての問題は非常に重要ですが、気が付きにくい分野です。 「神のかたち」が関係性の中に形作られるというのは、私たちと関わりのある人、モノ、社会との関係性を、神さまが見て「いいね」と言われるかどうかです。 友人、家族との関わり方、夫・妻、子供、親族との関係、仕事、お金、異性、食べ物、インターネット、ゲーム、SNSなどの依存性の高いもの。地域、学校、教会との関わりも入ります。関係性全てに関わります。 対象が良い、当然であるとされているものほど、実は健全な関係であるかどうかをよく考える必要があります。 例えば仕事、子供、配偶者、家族、教会、神(宗教)。これらの対象に、時間、精神力、犠牲を投じることを疑問視することはあまりないでしょう。疑問視すること自体に罪悪感が生じるかも知れません。 その重要性に変わりはありません。問題はその関わり方が、「神のかたち」の全体性を反映しているかどうかです。 仕事によって、家族との関係、社会とのつながり、神や教会との関係、自分自身の心や健康が損なわれている場合、仕事は私たちの生活の中にある「神のかたち」の全体性を損なっています。私たちの生き方はいびつな形になっており、仕事は他の関係性を犠牲にしています。 先の文章の「仕事」をあなた自身がバランスの問題を抱えている単語に置き換えてみて下さい。 教会、神、宗教はどうでしょうか。これらは残念なことに、不健全に用いられる時、考える力を麻痺させ、人をコントロールします。かねてより社会問題になっているカルト宗教は、神が創造した人としてのあり方、全体性を無視した結果生じているものです。 私たちの働き場は宗教活動に限定されません。家族も、友人も、キリストを知らない人たちとの関係も、天の主人から預かっている資産です。自分自身の精神力、時間、身体も神から預けられているものです。 預けられている資産の全体が元気で健康であるように、お世話することが、管理人としての役目です。どれか一つの関係性のために、他が著しく影響を被る場合、神の資産は目減りしています。 私たちは神の愛を運ぶ船であり、家族や友人、キリストを知らない人たちも私たちを必要としています。神への愛は、周りの人、自分自身にも適切に配分される必要があります。 神のかたちを形成することが必要な関係性について、次の質問を考えてみて下さい。 ・関係性を見直す必要がある対象には、どのようなものがありますか。 ・どのような考えが変化を留める理由となっていますか。その考えについて、神はどのように言われるでしょう。 ・どのように改善させれば、神さまは「いいね」と言われるでしょうか。 ・あなたの行動の動機が何か考えて下さい。愛以外の場合は、動機を愛とするためにはどのように考え方、関わり方を変えることができるか、考えてみましょう。 関係的解釈ー神との関係 神があなたとのつながりを、何よりも大切に思っている、ということを想像したことがありますか。イエス・キリストの大きな犠牲は、私たちを神との関係に招き入れるためでした。それくらい、私たちの存在は神にとって慕わしいものです。 神は私達の声を聞き、笑顔を見てほっとし、涙を流すときは、それを拭うために、私たちのそばにいたいと思っています。 神とのつながりは、先程の実体的解釈、機能的解釈の故郷のようなものです。私たちの霊的修練は厳しさだけではなく、神との慕わしさを理解する温もりが必要です。主イエス・キリストとの繋がりを深めることにより、神のいのちが私たちの人格、関係性の中に流れ出ていきます。 今回は、自分自身の課題がどこにあるのか一緒に考えました。次回は、自分自身の行きたい方向について、心の声を理解することに、取り組んでみましょう。 ※出版権の関係により、無断で不特定多数の方に配布しないようお願い申し上げます。引用の際には出典、『百万人の福音 Bible & Life』いのちのことば社※月号、を明記下さい。

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コラム
『 百万人の福音 BIBLE&LIFE』「神のかたち」で生きる霊性入門 1月ー私達が目指す"目的地"とは

いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しております。 連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』は様々な執筆者の方々の有益な記事や情報が満載です。最新号にてぜひお買い求めください! ※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。 神のかたち 人生には、袋小路と思えるような場面があります。仕事がうまくいかなかったり、信頼していた人との関係が壊れたり。結婚生活の問題、子育て、家族の病気や介護で度重なる課題に直面し、重い荷物を延々と運んでいるような気持ちの方もいらっしゃるでしょう。 教会生活はと言うと、伝道活動に子供のイベント、ピアノ奉仕に食事の係り、といくつもの役目を抱えて、自分の信仰がどうなっているのか考える余裕もないまま、走り続けている。 この方向で良いのだろうか、違うとしてもどこに向かえば良いのだろうか、と立ち止まる。自分自身の生き方、信仰の道標を探している、そのような方が納得と確信を得て、次の一歩を進める手がかりになればと思います。 目的地 人が抱える問題は様々です。どこからどう手を付けてよいか分からない。分からないので、悩みが深くなります。怒りっぽくなったり、気持ちが塞ぎ込んだり、眠れなくなったり、人間関係から離れていく。 私が人とお話する時、どのような問題でも、最初に確認することがあります。それは、答えはその方自身の中にあるということです。心のなかにある「なにか違う」という感性に信頼し、よく耳を傾けるところから、始まります。 怒りが消えない自分、悲しみから逃れられない自分、信仰者として理想的ではない、と否定している自分の声をきちんと聞く。なぜなら、心の中の消えない声が、行くべきところを知っているからです。本当の自分の声が何なのか受け取るところから、問題の整理が始まります。 神のかたち キリスト教的観点では、人は神のかたちとして創造されました(創1:27)。ラテン語ではImago Deiと言われます。なぜ最初にこのテーマをお話しするかというと、「神のかたち」は信仰者にとって、どこを目指すのか、という目的地を考える大切な基準になるからです。 「神のかたち」とは何を指すのか、キリスト教神学の歴史から、実体的解釈、機能的解釈、関係的解釈という三つの主要なアプローチがあります。 実体的解釈とは、愛や聖さなど、神のあり方が人に反映した道徳的な「かたち」です。 機能的解釈とは被造物の秩序の中で神を示す存在として生きる、社会性・関係性におけるあり方としての「かたち」。 関係的解釈とは、三位一体に示されるように、神は関係性そのものであり、神のかたちとは神との関係性の中に生きることである、とする考えです。 難しい話になりましたが、伝えたいことは、私たちの問題は大きく自分自身の問題か、周りの人・社会との関係性か、神との関係の問題か、に分類されるということです。 具体例 感情のコントロールができない、依存心が高い、などは実体的解釈の問題になるでしょう。自分自身が「当たり前」と思っている立ち振舞い、考えのパターンを客観的に見直し、神のあり方に向けてどのように成長するかが一つの目標になります。 教会の奉仕で家族との関係に摩擦が起きている、や職場で信仰者として生きることに課題を感じている、というのは機能的解釈に当たります。神の聖さ、愛、義、憐れみ、真実、誠実を調和の取れたかたちで関係性の中に実践することが課題になります。 「神さまがよくわからない、見えない」という相談は神との関係の問題になります(関係的解釈)。罪悪感や恐怖で信仰そのものが消えそうになっている方がいます。 状況によるのですが、これをしなければ、信仰者として怠けている、熱心ではないと言われる、というような恐れが信仰生活の中心になっているならば、本当にそれは神から出ていることなのか、立ち止まって考える時でしょう。 また大きな病気や死別など、深い悲しみで押しつぶされている方もいらっしゃるでしょう。悲しみを受け止めていく過程は時間がかかりますから、どうか焦らずに。悲しむ心を持っているあなたは、大きな愛を持っている人です。 これらの問題は一人で取り組むことが難しい場合があります。牧会カウンセラーやスピリチュアルディレクター、クリスチャンカウンセラー、他の教会の牧師やクリスチャンなど、他者から力を借りることは良い方法です。 神のかたちを、私たちの人生に形成することは、大変な作業です。多くの方が、信仰の悩みに直面する時、自分の信仰が後退したのだろうかと言いますが、それは違います。 起きない方が良い試みが、この壊れた世界には溢れています。でも、それはあなたを破壊したりはしません。神の手の中にあるときに、苦しみ悩みは、私たちを神の「かたち」に変える道筋になります。それは、新しい生き方の始まりであり、自由になる道です。 ※出版権の関係により、無断で不特定多数の方に配布しないようお願い申し上げます。引用の際には出典、『百万人の福音 Bible & Life』いのちのことば社※月号、を明記下さい。

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コラム
 「父性のかけら」2020年6月 羅府新報 掲載

 「父性のかけら」2020年6月 羅府新報のために執筆したコラムです。 南キリスト教教会連合 羅府新報掲載  「父性のかけら」 天の神さまは父にたとえられます。地上の父親の姿から、神さまの性質を垣間見ることが出来るという、意味なのかもしれません。私たちは不思議と、理想の父親像がどれだけ現実とかけ離れているとしても、「父」に期待される役割、そしてあるべき姿を知っています。 「父」は私にとって難しいテーマです。私の父はアルコール依存症でした。父親との思い出に苦い思いを持っている人は、少なくありません。そもそも、父親がいなかったという人も多くいます。 「父親は家庭内暴力で刑務所に行った」「自分の父親と母親は結婚したことがない」「兄弟みんな親が違う」クリスチャンの友人たちの話です。 家庭で理想の父親像を学ぶことが出来なかったら、私たちはどこで神さまを知る手がかりを得たらよいのでしょうか。「父性」の理解というのは、人格の形成のためにとても重要です。 私たちは、いろんな人から父性を学ぶことが出来ると思うのです。私には血はつながっていませんが、育ての親である父がいました。Lさんと言います。彼はクリスチャンで、私にとっては父親でした。 長崎で大学生だったとき、私は日本の国際青年海外協力隊の募集に申し込みました。東京まで面接に行きましが、結果は不合格でした。私は気落ちして、家に帰りました。ふすまを開けて「Lさん、青年海外協力隊のね、だめだったよ」と言いました。すると、Lさんは大きな声で、がっはっは!と笑いました。ひとしきり笑うと、長崎弁で「まぁ、よかったがね」と言って、また新聞を読み始めました。 何が良かったのか分かりませんが、私は安心しました。失敗しても大した事じゃない、と大きな心で励ましてもらったような気がします。私にとっては、それは父性の学びでした。彼は60年にわたる長いうつ病との戦いの末、自死しました。それでも私にとって立派な父親です。神の愛を教えてくれました。 父性を学ぶ機会は失われていないと思うのです。神さまがいろんな人を通して、学ぶことが出来なかったこと、得られなかったこと、を届けてくださると思うのです。 父の日に際して、どんなことを思うでしょうか。 みんながそうするから、父に感謝するべきだ、祝うべきだとは言えない難しさがあります。自分が大人になるにつれて、父は一人の人間であって、神ではない、と思うようになりました。父が教えてくれた父性、他の人が示してくれた父性、色々継ぎ合わされて、父なる神さまを知る。それでいいのではないかなと思います。 ソウルケアミニストリー代表/ガーデナ平原バプテスト教会会員 池田モース優美 ※ 他の投稿者の方々のコラムはこちらの南加連合のウェブサイトから読むことが出来ます。

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コラム
 「証人としての記憶」2021年3月 羅府新報 掲載

 「証人としての記憶」2021年3月 羅府新報のために執筆したコラムです。 南キリスト教教会連合 羅府新報掲載  「証人としての記憶」 どんな災害も時間が経過すると、記憶や教訓は薄れていく。出来事の直接的な当事者でなければ、尚更のことだろう。3月11日、2011年の東日本大震災から10年。私たちは何を教訓として覚えるだろうか。 聖書の中には、民族としての記憶がある。各個人としての幸不幸、生死を越えて、神の物語を運ぶ。 もしも、私たちが個人単位で得た経験と知識だけで生きれば、長く生きることは難しいだろう。まともに火も起こせず、早々と病死でもするのではないだろうか。私たちの生活はふんだんに、私たち以前に生きた人たちの経験と技術に支えられている。 霊的な意味でも、私たちは個人の信仰だけではなく、先人が蓄積した霊的遺産の恩恵を受けて生きている。アブラハムに約束された神の契約は、人類全体が祝福を受けるための道を開いた。また、ユダヤ人の何千年にもわたるトライ&エラーの集大成、聖書が私たちに神を教えている。 聖書は私たちの世界を、霊的な視点をもって生きることを教えている。 「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ日本は進歩ということを軽んじすぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか(中略) 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散るまさに本望じゃないか」 吉田満『戦艦大和ノ最期』 戦艦大和の哨戒長、臼淵磐大尉の言葉として記録されている。吉田満の創作であるとも言われているが、著者自身が戦艦大和からの生還者であり、無数の仲間達の死を経験した、彼なりの犠牲の解釈だったのかもしれない。 戦艦大和は第二次世界大戦戦争末期にアメリカ軍の本土上陸を防ぐため、沖縄に向けて出撃、米軍から爆撃を受け沈没した。戦艦自体を座礁させ砲台とし、乗組員にはそのまま陸戦隊として突入を命じる片道切符の特攻攻撃だった。 命令を受けた乗組員達の間では毎日、何のために自分たちの命は特攻攻撃に費やされるのかという議論が続いたと記録されている。一人一人の大切な命、愛する人たちを後にして、予想される死に何らかの意味を見出すため、乗組員の間では言葉では尽くせない苦しみがあったのだろう。 先の言葉を心に留めると、東日本大震災は霊的にどういう意味を持つだろうか。目覚めるということ、進歩ということ、救われるということ、新生するとは。 復興は進む。災害対策のスキルも向上するだろう。霊的にはどうだろうか。日本の社会は何か学んだだろうか。人の命はいつ無くなるとも知れず、私たちが人生をかけて積み上げた努力も肩書も、コミュニティも、家族も、一瞬で消え去る世界に生きていることについて、何か在り方は変わっただろうか。 私たちは有限を越える存在と、自分の存在の永遠的な意味を、世界に伝えているだろうか。神に愛され、霊的遺産を受け継ぐキリスト者だからこそ、現わせる世界というものがあるのではないだろうか。 証人としての東日本大震災の記憶。震災で失われた命による教訓は私たちの手の中にある。永遠の意味を、見つけることは出来るだろうか。 ソウルケアミニストリー代表/ガーデナ平原バプテスト教会会員 池田モース優美 ※ 他の投稿者の方々のコラムはこちらの南加連合のウェブサイトから読むことが出来ます。

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コラム
 「嫉妬の用法」2022年4月 羅府新報 掲載

 「嫉妬の用法」2022年4月 羅府新報のために執筆したコラムです。 南キリスト教教会連合 羅府新報掲載  「嫉妬の用法」 夫の不倫によって心に傷を受けた女性の方が泣きながらこう言った。「夫がやったことでどうして私が心を患い、治療を受けなければならないのか。悔しい。」性的な裏切りはトラウマとなり、戦争に従軍している軍人に起こるものと同じ心的外傷後ストレス障害(PTSD)を引き起こす。ショック、不安、パニック、怒り、不眠、抑うつ。とてつもない精神的衝撃である(参照:Keffer, S. (2018). Intimate deception, Ch.3)。 嫉妬、この取り扱いが難しい感情を聖書から見てみよう。 聖書にはねたみの概念を示す言葉が複数あり、時に神ご自身を表す概念として肯定的に用いられる(出エ34:14)。神のイスラエルの民に対する愛の表現としてねたみが使われる場合、ヘブル語でקִנְאָה (qinah) ギリシア語で ζῆλος (zēlos)、英語ではjealous, zealがより近い訳語である。一方、ねたみが罪深さとして言及される場合(マルコ15:10等)はφθόνος(phthonos)、envyに意味が近い。Jealousは神の愛の表現の一部だが、envyは悪意、敵意からの攻撃を含む罪深いものである。 この2つの概念にはもう一つ大きな違いがある。「嫉妬(Jealous)が所有するものの保護を望むのに対し、羨望(Envy) は現在所有されていないものを所有したいという怒りを伴う願望である。」(参照:Thoennes, K. E. (2005). Godly jealousy)  これは即ち、私たちは自分に所有権がある対象にのみ嫉妬(Jealous)が出来るということを示す。自分に所有権がない場合、嫉妬できないということだ。自分の所有の範囲外の対象を欲する場合は羨望(Envy)になる。 実際の例に適応してみよう。夫が自分以外の他の女性と不適切な関係を持ち、それに対して妻が嫉妬するのは当然の反応となる。妻は神の愛、独占的な愛に対する脅威に対し神的な嫉妬を示しているということだ。忠誠を誓った愛に戻ってほしいという愛の表現である。 しかし、問題はこの神の在り方の一部を表現したとしても、関係の改善は保証されておらず、それどころか本人は病的な状態に追い込まれていくところだ。嫉妬の狂気から心を守りつつ、聖く表現するというのは、人にとって非常に難しい。 嫉妬が神の性質の反映であるならば、私たちを神の像に精錬する役目がある。神に栄光が帰されるように表現されなければならない。神は嫉妬を正しく表現し、神の栄光は悪によって貶められてはならないという意思を表示した。花嫁であるイスラエルが背信行為を改めない時、神は自らの誉れが侵害され続けることを許さなかった。 なぜ私が嫉妬に苦しまなければならないのか、嫉妬は意味のある苦しみなのか?答えが出しにくい問いに、今苦しんでいる方がいるかも知れません。分かることは、嫉妬の渦の向こう側にはあなたにしか到達できない境地があるということ。神は正しく歩むものに勝利を見せてくださる。嫉妬、このおかしな姿のガイドが現れる時、あなたを正しい決断と行動に導きますように。 ソウルケアミニストリー代表 池田モース優美

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お知らせ
『百万人の福音 Bible & Life』2月号に記事が掲載されました

『百万人の福音』に記事が掲載されました。いつもお世話になっているT先生から、依頼のお話を頂きました。本当に有難うございました。雑誌はリニューアルされて『Bible &Life』なんだそうです。知らない間に色々と変わっていきますね。 「がんばらないと愛されないのですか?」がテーマとのことで、以前からご紹介したかったTalbotの論文があったので、これを機にと思い記事で少し解説しています。 “特集 がんばらないと愛されないのですか? コロナ禍で、学校で、職場で、家庭で、教会でも…とにかく「がんばって」いませんか。がんばることは悪いことではありません。でも、がんばらなくては人は、そして神様さえも愛してくれない、そう考えているとしたら、何か違うのかも?「日本人は『恵み』を正しく理解するのが難しい民族」とも言われます。いのちをすり減らすだけの“がんばる至上主義”を手放し、いのちを豊かにする“恵みによる生き方”について、一緒に考えてみませんか。“ 『百万人の福音 Bible & Life』いのちのことば社 2 月号冒頭から 他にも、様々な執筆者の方々のとても面白い記事、情報満載です。ぜひお買い求めください。 出版情報はこちら。 以下いのちのことば社から許可を頂きまして、同誌に掲載された記事です。ご一読いただけますと幸いです。 ↓↓↓ こちらのリンクから記事全文を読むことが出来ます。 ※出版権の関係により、無断で不特定多数の方に配布しないようお願い申し上げます。引用の際には出典、『百万人の福音 Bible & Life』いのちのことば社 2月号、を明記下さい。

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コラム
レゴ事件

「ガガガガー」スイッチを入れたキッチンのディスポーザー(生ゴミ粉砕機)の中に何かが詰まっている音がする。「これかあ!」小さなレゴのピースが一つ出てきた。ガタガタになってしまっていた。

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コラム
四季

自然界が表す四季はそれぞれ違う独特な美しさが反映されている。  春といえば桜が満開になって街中を期待で包む時。  夏といえば梅雨、町中が蒼茂る時だ。 

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