レゴ事件

「ガガガガー」スイッチを入れたキッチンのディスポーザー(生ゴミ粉砕機)の中に何かが詰まっている音がする。「これかあ!」小さなレゴのピースが一つ出てきた。ガタガタになってしまっていた。

「なに、なに?」と4歳になったばかりの息子が飛んできた。

つぶれて、すり切れているレゴのピースを見て、息子の顔が曇った。

私は、それを見て、「これだけ、スペシャルピースになりそうだね」と、すかさず、フォローしてみた。

「スペシャル?」と言って、それを手に取り、リビングに戻り、遊んでいた他のレゴにくっつけようとしたようだが、またすぐに戻ってきて、

「これ、スペシャルじゃない!」

と、大声で叫び、ゴミ箱を開けて投げ捨てた後、

「もう、レゴやんない!!」

と、言って、部屋のベッドに入って行ってしまった。しばらく静かだったけれど、だんだん何かうなり声が聞こえてくる。


話を巻き戻すと、この数時間前、私たち夫婦の隣りで遊んでいた息子が、にやっと笑って、小さなレゴのピースを5−6個、嬉しそうに口の中に入れた。

まるで小さなラムネを食べる感覚を楽しもうとしていた。

「わーお、なるほど。それなら、こうやって遊べばどう?」と、わたしは、透明のコップの中に水を入れてあげて、誘導した。

それで、カラフルなレゴをコップの中に入れ、はしゃいで遊んでいたけれど、今度はその水をこぼしたくなった息子。自分で台所に行って、つま先立ちで、シンクの中にこぼしたみたいだった。

夫が行って、シンクの中に散らばったレゴをレスキューしたが、一つだけガーベッジディスポーザーの中に入ってしまった、というシナリオだ。


怒って行ってしまった息子は部屋の中で、何か叫んでいるし、わめいている。(このまま放っておいておさまるのを待つべきか、私から行って、今の気持ちに寄り添うか・・・)

小さな子の感じていることは、本人が説明することも、私が、正確に共感することも難しい・・・


「ここいい?」と言って、子ども用の小さなベッドの中に体を丸めて入り込み、息子の隣に横になった。感情的になっている息子をグッとそばに抱き寄せると、まだスネてはいるけれど、私の方にすり寄ってきた。

「レゴ、ボロボロになっちゃったね。」そう言うと、また思い出させてしまい、怒ったりうなったりして、毛布を蹴飛ばしながら、バタバタしている。

「あのレゴ、ゴミ箱から拾ってみたよ。まだ使えたよ。」

「使えない!!」

(おっと、質問を間違えたな・・・。)
本人が感じていることと違うことを言うと、激しく抵抗するので、こっちも慎重だ。
(聖霊さま、助けてください。)と言いながら深呼吸をした。


しばらくの沈黙のあと、
「今、ベッドで、どんな気持ちがしてたの?」と静かに聞いてみた。「・・・」
(そんなこと、うまく言えるわけないか。)


「・・・悲しい気持ちと、怒ってる気持ちがミックスしてる?」
さっきまで騒いでいた息子の目から涙がポロっと流れた。

小さいレゴのピースに、言葉にならない気持ちが複雑にギュッと絡んでいる。一つくらいなくなっても大丈夫、という問題ではないのだ。

興味があったから、レゴを口に入れただけ。楽しかったから、コップと水で遊んだだけ。

水を捨てて遊びたかったら、シンクに入れただけ。
子どもは大人みたいに、先の事を考えて遊んでるわけではない。

「今」を楽しんでいるだけなのだ・・・そのレゴがつぶれちゃって、楽しかったのに、なんか楽しくない気持ちになったのかもしれない。

なんかばつの悪い気持ちになったのかもしれない。

怒って、レゴを捨てたこと、叫んだこと、嫌だったのかもしれない。いろいろ複雑な気持ちが、このちいちゃな脳の中で働いている。

このピースは、今、この瞬間、大きなピースなのだ。

私たちも同じような経験をすると思う。あとになれば、「なーんだ」と思えることでも、問題が大きくて感情がどうしようもなく揺れる時がある。

小さいことのように思えるけれど、色々な思いや経験とつながっていて、心が反応したりする。

恥ずかしくてたまらなくなり、隠れたくなったり、怒りが止まらなくて、どうしようもなくなってしまったり。

今やっていることを全部投げ出してやめてしまいたくなったり。誰かを責めつづけてしまったり。

大人になったら、ある程度は、理性では、抑えようとすることができる。前頭葉を働かせて、良いと思うことをし、悪いと思うことをしないようにする。

クリスチャンだったら、御言葉に従いたいと思うようになる。

でも、もしそれが理性だけである場合、思うようにできなくて葛藤することもあるのだ。肉と霊、理性と感情で葛藤する。

もし、そんな時、むき出し状態の自分の心の奥の気持ちをわかってくれる人がそばにいてくれたら、どんなに心強いだろうか。

聖霊さまは、そんな領域に見事に入ってきてくださる。


私たちの脳の、ちょうど耳と耳の間の奥あたりにある扁桃体は、感情を感じとるところである。神は、この脳の部分を目的を持って造られた。

ソウル(たましい)は、知性、感情、意志を含んでいる。たましいが叫ぶ時、感情も叫んでいる。

神である「人間の心を探りきわめる方」(ローマ8:27)は、感情や情緒の健康状態を無視することはない。


息子は、しばらくしてからすっかり気持ちを切り替え、笑顔で遊びはじめた。

次の日、あの例のレゴは、息子と一緒に紐に通してペンダントになった。「マミーにあげる」と。


「スペシャル」になったかな・・・。