「神のかたち」で生きる霊性入門 8月ー自由を鍛える

いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しております。

連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門
いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』は様々な執筆者の方々の有益な記事や情報が満載です。最新号にてぜひお買い求めください!


※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。


自由を鍛える

「神のかたち」を自分自身の生活の中に形作る、というテーマでお届けしています。

自由の対価

二人の方をご紹介します。

Aさん

「私は単に利用されているだけだということは分かっています。役に立たなければ、罵られることさえあります。でも、今の生活を続けたいと思うので、結局従ってしまうんです。」

Bさん

「もしかしたら、私は会社の中の重要な地位についていたのかも知れません。しかし、私は聖霊の導きに従って、働く自由が欲しかった。だから、良いオファーを断って、一人で活動しています。今は大変です。組織からの支援も、肩書きもない。でも、これで良いという確信があるんですよ。」

時々、自由の対価とはなんと大きなものかと思います。信仰の自由のためにアメリカ大陸へと渡った新教徒、女性解放運動、ガンジーによるインド独立運動、公民権運動、天安門事件等々...自由のための道のりは、迫害と弾圧の歴史です。

私たち個人の自由への道も、楽ではありません。Aさんは、生活の保証を得ていますが、自らの心は、自分が真に自由でないということを知っています。一方で、整備された道を降りて、でこぼこ道を行くBさんのような人もいます。

私達の自由

私達は自由でしょうか。もちろん、現代の日本に生きている人々は奴隷ではありません。良心的で誠実な信仰者は、罪を避け、神の子供として自由の恵みを体験しているはずです(ヨハネ8:31-36)。

現代社会に生きる人々には、比較的自由が保証されている。そうであるにしても、私は様々な人々の価値観と思考の流れをたどるとき、自由とは言い難い、魂を閉じ込めている何かを感じるのです。人としての尊厳を無視するような価値観、人に奴隷になれ、と囁きかける声です。

キリストの自由

キリストがどのような自由を選択したのか荒野の誘惑に見ることができます(マタイ4:1-11)。イエスはパンよりも神のことばに従って生きることを選びました。

結果としてイエス・キリストの肩書は「大工の息子」。貧しく、休む家もない人として生涯を終えました。世の中が与える財産よりも自由を選んだ結果です。

保証された生活、人々からの称賛・承認、これらは私たちの優しい羊飼い、というよりは奴隷監督です。奴隷監督は、彼らを満足させれば、私たちは受け入れられ、そうでない場合、私たちに価値はない、と囁きます。

十字架の上で遂には体の自由までも失ったキリスト。私たちの魂はそれでもキリストは、真に自由であるということを知っています。

悪魔や人間が課す檻は神の霊を閉じ込めることはできません。キリストは、神であることの尊厳と自由を地上の富と引き換えにはしませんでした。

自由のために、あなたの尊厳のために

「私はいつになったら受け入れられるのだろう」「私は失敗した。若さ、学歴、仕事、配偶者、富の競争に出遅れた。私には価値がない」。このような考えが、多くの人々の心を深く蝕んでいます。

日本人を苦しめる1つの強固な精神性は比較です。自分自身にある絶対的な価値を認めていないため、他者との比較、社会の価値基準の中で自分の価値を確認しています。

「勝ち組」でも「負け組」でも、何らかのランクを絶対視していることには変わりはありません。番付という奴隷監督の元にあります。

「負け組」だと信じる人は、比較の物差しの中では、永遠に底辺の「奴隷」です。それでも、自分自身を奴隷にする虐待的な奴隷監督の元に留まり続けます。

自由になるためには、外には自由な世界があるということ、そして自分がどのような価値観の奴隷になっているのか、気付く必要があります。

人の心の中の「あなたは奴隷だ」とささやく声に出会うとき、自由になって欲しいと、心から願います。自由に空へと羽ばたいて欲しい。神のかたちを表す被造物として、自分自身の尊厳を大切にして欲しい。

魂の自由

マキシミリアン・コルベ神父は日本でも6年間宣教活動に従事したカトリックの司祭です。彼の遺品は長崎の縁の地に残されています。1941年にアウシュビッツで処刑されました。

コルベ神父はナチスの監視の下、他の収容者たちと強制労働に従事していました。ある日同じ班の中から行方不明者が出ます。脱走者が出たと思われ、連帯責任として同じ班の中から10人が処刑されることになりました。

無作為に選ばれた10人のうちの一人が突然、妻と息子に会えないのか、と泣き崩れます。この囚人の身代わりになりましょう、と進み出たのがコルベ神父でした。

10人の囚人は餓死室に閉じ込められ、餓えと渇きに苦しみます。コルベ神父は一人ひとりを励まし、賛美歌を歌い、息を引き取っていく仲間たちのために祈りました。2週間後、コルベ神父を含め4名はまだ生存していましたが、フェノール注射により処刑されました。

コルベ神父の最期の場面に立ち会った人物が戦後に貴重な証言を残してくれたお陰で、彼の物語が語り継がれています。

たとえ記録に残らなかったとしても、コルベ神父が地上で表した霊的なメッセージの尊さは、天の国に記録されているでしょう(黙示録 3:5) 。

あなたの物語、自由と尊厳のための道筋は、誰にも知られない物語かも知れません。自分を救うためだけの、小さな物語かも知れない。それでも、あなたの奮闘を通して、キリストの自由が世界へと流れていきます。

私たちの魂に絡みついているものが何なのか、よく考えてみてください。人としての尊厳、人間性を奪う鎖から自由になってください。

高い対価を払うことになるかもしれませんが、自由、そして尊厳は、その価値に見合うものなのです。




※出版権の関係により、無断で不特定多数の方に配布しないようお願い申し上げます。引用の際には出典、『百万人の福音 Bible & Life』いのちのことば社※月号、を明記下さい。