「神のかたち」で生きる霊性入門 7月ー愛を鍛える
いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しております。
連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門
いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』は様々な執筆者の方々の有益な記事や情報が満載です。最新号にてぜひお買い求めください!
※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。
愛を鍛える
「神のかたち」を自分自身の生活の中に形作る、というテーマでお届けしています。
クラスにて
「最初の夫婦カウンセリングでは必ず次のように伝えます。「今この場で、相手に変わってもらいたい、という期待を捨てること」」
夫婦カウンセリングのクラスを担当する教授から教えてもらったことです。変わるのは、相手ではなく、あなた自身であるというスタートラインに立ってもらうためです。その後、私自身が日本人にかかわる様々な問題に携わりながら、上の言葉の大切さをつくづくと実感させられています。
子供の問題行動に悩む親、ハラスメントや依存症に悩む配偶者、境界線を踏み越えてくる親族、個人の身体・精神・経済的な限界を認めない団体や上司の下で働く社会人。これらの問題は私達が神話のような「愛」を自他ともに信じているため、生じるものです。
神話のような「愛」
聖書によると「神は愛(ヨハネ)」です。性愛、友愛、家族愛、無償の愛...対象によって様々な名前で呼ばれることがありますが、すべての愛の源は神であり、神の愛の一部分が反映されたものです。
従って、神を学ぶことにより、私たちは「愛」が何であるかを学びます。「愛」は情熱と犠牲を伴います(ローマ人への手紙5:8、ヨハネ3:16)。
神話のような「愛」とは、次のような理想像です。
- 親は無条件に子供を愛する。子供はどんな犠牲を払っても親のために尽くす。
- 夫婦間ではどのような背信行為も、愛の力で乗り越える。
- 家族・親族は困ったときには助け合うものだ。
- 組織や団体のことを大切に思うならば、組織に不都合なことは言うべきではない。組織に不利益をもたらす人間は忠誠心に欠ける。
神話は美しく聞こえるけれども、現実には機能しません。多くの人が良いクリスチャンであろうとするため、この考え方で苦しみます。異議を唱えると罪悪感が生まれ、反論が難しいのです。
神の愛
この理論に対抗する考え方をお伝えします。神の愛は、神の聖さ(1Pet. 1:15-16) と義(1John 3:7)も同時に表す必要があるということです。
神は愛を正しく実践する方法を知っています。神は被造物である人を無条件に愛しましたが、神の聖と義を放棄することはありませんでした。聖さと義の無い愛は、神を現すものではありません。
愛のしるしとして、キリストが送られ、愛を全うするために、精神的・霊的な苦痛と物理的な犠牲が払われました(1 Peter 2:24)。キリストは世の不正と罪にチャレンジすることにより、愛を示されました。
犯罪を繰り返す家族を黙認しつづけることは、愛でしょうか?浪費癖のある配偶者の後始末を続けることは愛なのか、それとも?
愛とはただ相手が快適に過ごせるように譲歩を続けることではありません。関係性の中に見られる罪深さや不健全さを正そうとする姿勢も愛です。相手が神の喜ばれる在り方へと、自立を助けることも愛です。
聖さとは罪深い動機や行動を共にしないことです。義とは、良いことと悪いことを明らかにする決断や行動です。憐れみは、成長と成熟を促す忍耐です。愛の実践において、神の全体像である、愛・聖さ・義を示す方向に向けた決断が真の「愛」の実践です。
痛い
「変わるべきなのは、相手ではなく、自分である」という話に戻ってみましょう。厳しい戦いではあるのですが、あなたの愛、寛容さや良心、忍耐を浪費するような相手に対しては、神話のような愛ではなく、神の愛を実践する必要があります。
より高次な神の愛は、あなたが「良い人である」という名声を失わせ「冷たい、あの人はクリスチャンではない」という不名誉を受ける場合があります。
キリストが家族の繋がりを軽視していると捉えられたり(マルコ 3:21)、神を侮辱していると(マタ26:65、ヨハ15:18)言われたようにです。
あなたが非難される場合、どのような人があなたを非難しているか考えてみて下さい。その人達はあなたを本当の意味で大切にしてくれる良い人たちですか?あなたをコントロールしようとしていませんか。
神があなたの決断についてなんと言っているか考えてみて下さい。そして、良い信仰を持っている人たちに、健全な判断とは何か相談してみて下さい。
自分自身への挑戦
実は、一番の強敵は、自分の内側の声です。愛がない、クリスチャンらしくない、と言われても、本当の愛とは何かを実践する荒野に踏み出すことが出来るか。罪悪感に悩み、失敗しながらも、悪戦苦闘の先にある希望を信じるか...。
夫婦喧嘩が増え、子供を失望させることになるかも知れません。安定した生活基盤を失ったり、付き合っている相手と別れたり、昇進の道が絶たれたりするかも知れない。
愛の実践とは、自分自身との戦いです。抵抗に耐える愛の筋肉をつけることです。神は愛の結果として、人となったひとり子を失いました。しかし、神の犠牲は永遠の命に繋がりました。
私達も大切なものを失うことになるかも知れません。私たちは失いますが、鍛えられた愛はより神に似たものとなります。
あなたの愛がどのようなものであるのか、よく考え、信頼できる人から知恵をもらいましょう。愛を鍛える過程においては、理解されないこともあります。しかし、あなたの愛に対する取り組みは、神に知られています。神の導きと平安がある方向へ進んでみてくださいね。
※出版権の関係により、無断で不特定多数の方に配布しないようお願い申し上げます。引用の際には出典、『百万人の福音 Bible & Life』いのちのことば社※月号、を明記下さい。