「神のかたち」で生きる霊性入門 3月ーあなたの「かたち」を考えるー感情を見つめる

いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しております。

連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門
いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。

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※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。


あなたの「かたち」を考えるー感情を見つめる

「神のかたち」を自分自身の生活の中に形作ってゆく、というテーマでお届けしています。

今日はあなた自身が、どこに向かいたいのか、心の中にあるもやもやとしたものを、どのように取り扱い、自分自身で納得できるところに進んでいくか、一緒に考えてみましょう。

信仰者の方とお話すると、面白い共通点があります。話の核心に辿り着くまでに時間がかかるのです。「あなたは、どう感じていますか?」と聞くと、別の話を始めます。問題に思っている教会員や、家族の話、そして、不満を持っている自分を恥じるかのように、聖書の話。

「〇〇がこうなってもらえたら、いいなと思っています。聖書はこう言ってますよね。だから、こう考えるべきだと思っています…。」

「聖書はそう言ってますね。あなたはどう思っていますか?聖書を脇に置いてみましょうか。あなたがどう感じているか、聞かせて下さい。」

すると、話している方は急に静かになります。上を向いたり、下を向いたり、ため息をついて眉間にシワを寄せ、一生懸命考えます。「私?私は何をしたいのだろう?私が感じていることって何?」という具合です。

クリスチャンとして生きる時間が増えると、ますます分からなくなる質問なのかもしれません。私は一体誰で、何を考えていて、何がしたいのか…。不思議ですね。

私がなにをしたいか、ということよりも、目の前の問題を解決することに精一杯なのかも知れません。

教会では、自分を捨て、自分を犠牲にし、教会と伝道に従事することが模範であると教えられる。家族から、社会からは「~らしくあれ」と求められる。

そして、いつの間にか私が何を感じているのか、なにをしたいのか、考えることも恐ろしくなってしまう。聖書や世間が自分に期待している役割以外、「自分」には生きる場所も、息をする場所も無い。「透明人間」という古い映画のように、役割という包帯が剥がれたら、その下に見える顔がない。

私の輪郭

結婚関係のクラスで、カウンセリングの教授が模範演技を見せてくれました。10分のロールプレイの中で、質問の回数は3回。それも、同じ質問をしました。「あなたはどう感じていますか?」

これを読んでいらっしゃるあなたにも、同じ質問をしましょう。

「いまあなたの心の中に抱えている心配や、不安。それをよく見つめてみて下さい。あなたは、何を感じますか?」

痛くて辛い質問かもしれません。この質問の意義は、感情を通して、私達自身に触れるというところにあります。包帯の下に何があるのか、あなたのかたちを確認する手がかりです。

感情ー喜び、怒り、悲しみ、恐れ、驚き、不快、等を通して、私たちは、よく分からなくなってしまった、自分自身の声が聞こえるようになります。

感情がなぜ大切なのか、私達の霊性とどのように関わっているのか。次の言葉はとても良く表しています。

「感情的に未熟なまま、精神的に成熟することはできません。感情を無視した生活をしていると、クリスチャンとしての規律や活動、行動をしていても、過去に深く根付いた行動パターンが、キリストにあって成熟した本物の人生を妨げることになってしまいます。…その結果、私たちは精神的に幼いままで、キリストにあって精神的、感情的に成熟した大人に成長することができない危険性があります。 」Scazzero, P. (2019). In Emotionally healthy spirituality (p. 9). Duranno Press. 

感情についてお話すると、次のような質問を受けます。

「感情に従うことは良いことなのでしょうか?感情は当てにならない、感情ではなく、意思を大切にすることを教えられてきましたが。」

「ネガティブな感情は忘れて前に進むように教えられてきました。ネガティブな感情に向き合うことは良いことなのでしょうか?」

感情を大切にする、とは感情的な人間になれと言っているのではありません。感情があなたの主人になるのではなく、あなたが感情の主人になるように、ということです。

多くの人が自分が感じていることが分からず、うつになります。もしくは、感情が赴くままに、不機嫌を周りに撒き散らします。そうすることが当然だと思っているのです。

感情の主人になるためには、あなたの心のなかで何が起きているのか、理解できなければなりません。感情は、心のシグナルです。自分をよく理解し、表情を持ったあなたが、イエス・キリストと出会うのです。どこに向かうべきなのか、キリストと語り合う、あなた自身が声を取り戻す必要があります。

ネガティブな感情はどのように取り扱えばよいのか。私はよくピアノの鍵盤に例えます。どの音階でも、一つの鍵盤の音が出なければ、演奏できる曲が限られるでしょう。もしくは、歪な曲が出来上がるでしょう。

多くの鍵盤の音がでるからこそ、調和のある、より完成された曲が奏でられる。そんな風に、あなたのネガティブな感情も、あなたの人格を調和させ、完成させる力を持っている。それを、制する力を身に着けていくことが成長、あなたの中に、神のかたちが形作られる過程です。

あなたの心の中のもやもやは、あなたを豊かにする力を持っています。扱いにくい雲かも知れませんが、もやもやが何を言っているのか、耳を済ませてみて下さい。

もやもやと向き合っても、気持ちが落ち込むだけで、解決が難しいという場合は、積極的に周りにいる霊的な指導をくださる方に指導を仰いで下さい。あなたが、安心して話せる人が良いです。

今回は、自分の心を理解する大切さと手がかりについてお話しました。次回は、自分自身を表現することの大切さについて、一緒に考えてみましょう。


※出版権の関係により、無断で不特定多数の方に配布しないようお願い申し上げます。引用の際には出典、『百万人の福音 Bible & Life』いのちのことば社※月号、を明記下さい。