「神のかたち」で生きる霊性入門 5月ー自分の頭で考えなさいー師匠からの教え

いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しております。

連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門
いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』は様々な執筆者の方々の有益な記事や情報が満載です。最新号にてぜひお買い求めください!


※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。


自分の頭で考えなさいー師匠からの教え

「神のかたち」を自分自身の生活の中に形作ってゆく、というテーマでお届けしています。

今日は、私の信仰の師匠、國光幾代子先生から頂いた信仰の知恵をご紹介します。

國光先生(故人)は私が卒業したインマヌエル聖宣神学校の女子寮監を長年務め、メソジスト教会の牧師として数多くの牧師、献身者、教会員、求道者の指導と育成をされました。

私が先生に出会ったとき、先生は88歳。私は当時23歳で、信仰をもって3年目でした。先生が亡くなるまでの10年間、私は先生から多くの霊的な指導、遺産をいただきました。

これからご紹介する幾つかの言葉は、きっと、皆さんの信仰生活を形作る手がかりになると信じています。

「自分の頭で考えなさい」

「あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。」ピリ 1:9-10

私は大学卒業後、すぐに神学校に入学しました。非キリスト教環境で二十歳まで育った私にとって、キリスト教世界の考え方、文化は外国と同じくらい隔たりを感じる世界でした。キリスト教会、神学校とはいえ、聖書的なもの、文化的なもの、人間的なもの、罪の影響を受けたものも混ざっているという考えに至るには、まだ時間が必要でした。

私はよく、先生のところで泣きながら愚痴を言っていました。人生経験も信仰年限も浅い私にとって、納得できない神学校の習慣があり、また人間関係にも良心が痛むことがあり、うつ病寸前でした。

「自分の頭で考えなさい」と先生は私に言いました。そして幾つかの聖書箇所を開いて下さいました(エペ5:10、1テサ5:21、ピリ1:9-10)。

「自分の頭で考えなさい」という言葉は衝撃的でした。なぜなら、それまでずっと信仰者の模範とは、「従うこと」だと教えられてきたからです。自分の考えや判断を持て、という指導は受けたことがありませんでした。

神は私たちに自分自身の目で、感性で、信仰で良いものと悪いものを判断するように、創造されました。生きた信仰をもつとは、頭を使うことであり、時に痛み、間違いも発生します。完璧ではないかもしれない。

しかし、私達が悩んでいるということは、忠実に神に与えられた可能性を生きていることだと思うのです。

人としての全体性として、有機的な、命が通っている存在として、神の被造物として完成された姿に近いと、私は思うのです。

立場や学歴、信仰年限は関係ありません。神があなたになんと語り掛けているのか、神があなたに与えた良心と、生きている聖霊を信じ、自分の感性に自信を持ち、自分の頭で考えてみてください。

信仰の穴開きごみ袋

色々な事を言われて大変だった時がありました。先生は次のように言われました。「信仰のごみ袋を持ちなさい。それには、穴が開いていなくてはいけません。」

「穴ですか?」

「そうです。穴空きゴミ袋です。色々なことを言う人がいるでしょう。そうしたら、「はい、承りました」と言って、一度袋に入れます。袋には穴が開いていますから、言葉は穴から落ちてどこかに行きます。それでいいのです。」「それでいいのですか、先生?」

「相手は聞いているという姿勢で満足しますから、問題ありません。」

真面目に聞くばかりが能ではないと、学んだ瞬間でした。

「ためていたら、腐ります」

愚痴ばかり言っていた時のこと。「いつも愚痴ばかり言って、すみません。」「いいんです。きちんと出すほうが、良いのです。臭いものをなかったようにして、蓋をすると、もっと腐って悪い臭いを出します。」

隠すよりも、正直であるほうが良い。自分自身の心の声をきちんと理解する大切さを学びました。

「第一直感を大切に」

先生は判断が明確で早い方でした。判断基準を聞いたときに、教えてくださったこと。

「第一直感を大切にしなさい。」「聖書とか、信仰とかではなく?」「もちろん、大切です。しかし、迷ったら自分の直感を大切にしなさい。何かを教えているのです。」

聖霊が働いて教えてくれる、自分の感性を大切にしなさい、という意味なのだと思います。時間の猶予が無かったり、判断に迷う場合に役に立つ基準です。神によって培われている自分自身の感性と選択に自信を持ちましょう。

「すべて自分の考えだと思う必要はありません」

悪い考えや、誘惑が心に浮かぶときの対処の仕方。

「どうして自分はこんなことを考えるのだろうかとか、こんなに汚いことを思っているのか、と悩む必要はありません。サタンの投げる言葉にいちいち反応しなくてもよい。「サタンよ、下がれ」と言って、相手にしない。それだけで良いのです。そのたびに御言葉を心で唱えなさい(1ヨハネ 1: 7)。」

「授業料だと思いなさい」

自分の不注意で、車を大破させて経済的、精神的な痛手を負ったことがありました。とても落ち込んでいたときに、教えていただいたこと。「授業料だと思いなさい。」

マイナスでしかない、経済、時間、精神、肉体的ダメージを、前向きな視点に変えてくれた一言でした。皆さんの失敗も、「授業料」になる日が来ます。

「謙遜でありなさい」

神学校を卒業したとき、先生から頂いた言葉。「神は傲慢な器は用いられません。謙遜でありなさい。」

先生の教えはユーモアがあり、実践的でした。國光先生が、さらに前の先生から教えてもらった、という教えもあります。軍国主義と二度の世界大戦を生き抜いてきた世代です。

クリスチャンは、ただ真面目で善良、騙されやすい羊ではありません。賢く逞しく、ユーモアを持って、魅力的にキリストの姿を表してください。

今日ご紹介した知恵が、皆様の中に魅力的なキリストの姿を形作る手がかりとなれば、幸いです。




※出版権の関係により、無断で不特定多数の方に配布しないようお願い申し上げます。引用の際には出典、『百万人の福音 Bible & Life』いのちのことば社※月号、を明記下さい。