「神のかたち」で生きる霊性入門 11月ー信仰は視力となり

いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しました。

連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門
いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』は様々な執筆者の方々の有益な記事や情報が満載です。最新号にてぜひお買い求めください!


※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。


信仰は視力となり

「神のかたち」を自分自身の生活の中に形作る、というテーマでお届けしています。

私たちの問題

ある日、乳がんを患った方が来られました。片方の乳房を部分的に除去したため、胸に義肢装具をつけているとのことでした。義肢装具とは義足や義手と同じように、病気や怪我で欠損した体の部位を補うためのものです。

「鏡で自分の胸が欠けている姿を見ると、自分でなくなったような気がするんです。どう表現していいか、わからないんですが、受け入れることが出来ないんです。」

欠けた部分というのは、物理的にも、精神的にも、多くの意味があるでしょう。

体の一部分がなくなりました。見た目が服で隠れているとしても、これまで出来ていたことが、出来なくなったかもしれません。機能を失いました。可能性を失いました。

欠けた肉体は再生できません。失うという痛みがあります。もう戻らない、再生されない。私達の肉体の終わりを思わせる、暗いサインでもあるでしょう。

彼女との会話で、この話は私達人間、全ての話だと思いました。障害、病気、事故、老化。遅かれ早かれ、私たちの健康は失われ、体の機能は衰えていきます。

人間は塵で作られている、と聖書は言います。私たちも世界も、海辺に作った砂山のように、変化し崩れる。しかし、失いながら生きていくことは、ただ死に向かうだけの旅ではない。その過程に何らかの意味があると思うのです。

あなたの旅

私達の地上の肉体は幕屋だと、聖書は言います(2Cor. 5:1-4)。旧約聖書の時代、エジプトを出て、神が約束された地に入るまでの仮の住まいが、幕屋でした。荒野での旅の中で奴隷であったイスラエル人は、律法を与えられ、土地を得、神の民へと形作られていきました。

このイメージに重ね合わせると、地上にいる時間は私達の中に、神の民としてのあり方が生まれていく荒野の旅です。

「20歳の顔は自然からの贈り物。50歳の顔はあなたの功績。」ココ・シャネル

言わずと知れたシャネル、高級ブランドの創設者の言葉です。着飾るということは、見せびらかしたり、不自由な飾り物になることではない。どんな生き方を選択するのか、可能にするのか、現代の洋服を普及させ人々の生活とアイデンティティに革命を起こした人です。

シャネルの言葉を見て、すごいな!と思いました。生まれたときの遺伝子、生物学的要素だけではなく環境は、私達ではどうしようも出来ない要素が多い。

でも50歳は、70歳は、80歳は…その人がどのように生きてきたかが顔に、表情に、生き方、立ち振舞、言葉の端々に現れる。

私はこう思うんです。私たちの内側、魂の中には、霊的な姿かたちが作られていく。体の機能が失われていきます。不自由になっていきます。もとに戻らない。

しかし、私たちの中で、私たちが作られていくのです。肉体とは逆に、魂の体は、美しく、若い時以上に素晴らしく作られていく。

彫刻刀で削られていくように、失うことによって、私たちの魂の形が作られていくのです。失うということが、私たちを形作ってくれます。私たちが誰であるのか。

失う過程は、与えられる過程。地上で失う時、天の姿は作られていく。

あなたの魂の形を想像してみて下さい。どんな姿、かたちをしているでしょう。その姿で、主の前に立ちます。

心の痛み、身体の痛み、これまで沢山あったでしょう。そしてこれからも。でも、あなたの魂から奪われていくものは何もありません。

信仰は視力となり

「何年もの間、彼女はこの日を心待ちにしていた。この日、彼女の信仰は視力となって、主と対面し、"おかえり "と言われるのを聞くのだ。」

これは、ある方の訃報の中にあった一文です。

「信仰は視力となって」

神を信じる者たちには、天の国で復活の体が与えられると、聖書は教えています。

神は霊ですから、私たちが神を見る目は、肉体の眼球ではなく、信仰なのです(IIコリ5:6-7)。天国に塵に返るものは持っていけません。

天の国の体は、地上とは全く違う素材で出来ているのでしょう。啓示されている御言葉を手がかりに、推測しかできませんが、私たちが地上で形作る霊性が、天国の体に、姿になる日がやって来ます。

時々思います。その人が何者であるかということは、持つことによってではなく、持たないことによって、より明らかにされる。私たちは痛みによって、形作られると。

この地上では、持つことによって豊かになりますが、信仰者は持たないことによって、豊かになる。

そうなると、この地上で生きる痛み、損失、老化には隠されたレッスンがあるように思います。私たちに、永遠の、来るべき世界を教えてくれているのです。

まだ時間があるなら、素晴らしいことです。永遠の姿を望みながら、この世界でなにか出来ることがあるのでしょう。魅力的な、魂のかたちを作って下さい。

地上のものは朽ち果てますが、塵の中で、私たちの永遠の姿かたちが刻まれているのです。




※出版権の関係により、無断で不特定多数の方に配布しないようお願い申し上げます。引用の際には出典、『百万人の福音 Bible & Life』いのちのことば社※月号、を明記下さい。