「神のかたち」で生きる霊性入門 10月ー赦しと和解

いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しました。

連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門
いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』は様々な執筆者の方々の有益な記事や情報が満載です。最新号にてぜひお買い求めください!


※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。


赦しと和解

「神のかたち」を自分自身の生活の中に形作る、というテーマでお届けしています。

理不尽

詩篇51編はダビデが預言者ナタンからバテ・シェバの件を諌められたときに作られた詩歌と言われます。ウリヤがもし新約聖書の時代に生きていたら…ウリヤにダビデを赦しなさいと言えるでしょうか。高速道路の向こう側で見かけても、掴みかかって、殴りたい関係なのに、にっこり笑って「兄弟」と呼べる関係になれということでしょうか。

ナタンのような立場の人にとって、踏んだり蹴ったりではないでしょうか。苦しめられた挙げ句に、許しがたい相手を受け入れなさい、という精神的葛藤の二重苦。なぜ、罪を犯したものが赦され、苦しんだ者から温かい抱擁を得ることができるのか。

事の大小に関わらず、赦しの問題については、このジレンマが生じます。この点で葛藤している方々は少なくありません。今回は「赦し」と「和解」の違いについて、ご紹介いたします。

「赦し」と「和解」

ヘンリー・クラウドは『境界線』の中でこのように記しています。

「赦しと和解の区別がつけられない人は少なくありません。…赦すとは自分の境界線をもう一度取り払い、相手に自分を傷つける力を与えることだと勘違いしてしまうために、赦すことが恐くてできない人が大勢います。」14章境界線への抵抗

私たちが日常会話の中で使うのは「許し」です。「許す」とは、聞き入れる、自由にさせる、という意味です。対して聖書の中で過失や罪を巡って、他者との関わりの中で使われるのは「赦し」です。「赦す」とは刑罰や義務を免除する、という意味で使われます。

赦しは神からの命令です(マタイ6:9-15)。他者への「赦し」は「主の祈り」の中に含まれ、私たちが日々行うべき霊的営みとして定められています。

赦しについて、葛藤を抱えている人は、まず、「赦し」と「和解」を区別することが必要です。「赦し」は「仲直り」のことではありません。

「赦し」が意味する範囲

「赦し」はあなた自身、一人いれば完結します。負債を免除されたしもべの例え(マタイ18:21-35)は「赦し」の理解を助けてくれます。「赦し」とは、相手から私たちに負っている負債を取り立てる権利を放棄し、私たちへの賠償責任から自由にすることです。

赦すために、相手は私に対して、何も弁償しなくても良いですし、相手からの謝罪も必要ありません。相手があなたに謝らなかったとしても、悪いと思っていないとしても、あなたはその、紛争関係を終わらせることが出来ます。「赦し」はあなたの心のなかで生じる恵みであり、あなたと神がいれば十分です。

そのため、「赦す」ことにおいて、あなたは、あなたを傷つけた人と、必ずしも良い関係に戻る必要はありません。「赦し」は命令ですが「和解」は条件付きだからです。

「和解」とは

「和解」のイメージは、「仲直り」です。どちらが悪いことをしたのか明らかにされ、被害を与えた側は間違いを認めて、謝ります。被害を訴えている人の正しさが証明され、何らかの償い、もしくは改善が約束されます。そして、両者は関係を回復します。

「和解」は成立するとは限りません。相手からの謝罪と償いは得られない可能性があるからです。相手は悪いことをしたと思っていないかもしれない。自分がやったことを忘れているかもしれません。

虐待的な親であったり、横暴な上司であったり、あなたを裏切って消えた友人達と再び関係をもつ可能性がどれだけあるのか。相手はもう死んでいるかもしれない。

神が私達に命じていることは、相手と状況次第の「和解」ではないのです。

真の問題解決

もちろん私たちは、「和解」の可能性を信じ、寛容な心を持つ必要があります。同時に、自分自身にとって問題の本当の解決とは、何を指すのか考える必要があります。自分の心に耳を傾け、嘘をつかないことです。痛みが回復する過程を省略しても、問題は解決しません。

あなたの心の整理、状況の整理に時間をかけて下さい。相手がいる場合は、十分な信頼関係を構築することが出来るまで、安全な距離を取ってください。

同じ過ちをお互いに繰り返すことがないように、自分と相手の行動が改善を伴っているのか、自分なりにどのような結論を出すのか、考えて下さい。

他者や自分自身の未成熟さ、自己中心性を助長するような解決方法は「和解」ではありません。

相手と問題から自由になる

「赦し」は、相手のためではなく、自分自身にとっての福音です。相手があなたに負っている負債を取り立てる必要はなく、あなたは損害からの傷や、「被害者」という立場から自由になるのです。

負債の問題は、あなたと相手の問題ではなく、相手と神の問題になります(ローマ12:18-21)。「赦し」はあなたの未来を守る境界線です。

赦し難い人、出来事が、どんな人にもいくつかあるでしょう。自由になって下さい。あなたの人生は怒りや復讐ではなく、もっと良いもので形作られるべきです。



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