「神のかたち」で生きる霊性入門 6月ー我と汝

いのちのことば社『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』にて2023年1月から1年間連載を担当しております。

連載タイトルは、「神のかたち」で生きる霊性入門
いのちのことば社様から許可をいただきまして掲載いたします。『 月刊 百万人の福音 BIBLE&LIFE 』は様々な執筆者の方々の有益な記事や情報が満載です。最新号にてぜひお買い求めください!


※掲載された記事については、PDFの記事を御覧ください。下記は編集前の原文です。紙面の都合上省略された文章が原文には含まれています。編集者の方の尽力によって読みやすくなった文章、また原文のままの文章もどちらも、楽しんで頂けるかと思い、両方を残してあります。


我と汝

「神のかたち」を自分自身の生活の中に形作ってゆく、というテーマでお届けしています。

「我と汝」

20世紀はじめ、ヨーロッパに世界大戦の惨禍が吹き荒れる中、ユダヤ教の神学者マーティン・ブーバーが『我と汝(原著Ich und Du、英訳I and Thou)』という示唆に富んだ本を記しました。

ブーバーはこの本で、人の関係性は2つに分けられる、それは「私と汝(Thau)」か「私とそれ(It)」であると、論じています。

「我-なんじ」の関係性は、他者の存在を尊重し、対話や直接的な関係を通じて相手と真のつながりを持とうとする関わり方です。相手に対する愛情や敬意、信頼などが「我-なんじ」の関係性を生み出す血液です。人だけではなく、あらゆる対象と「私-なんじ」の繋がりを築くことができるとされています。

一方、「私-それ」の関係では、世界は自身の欲求や目的を達成するための手段にすぎません。「私」にのみ関心が向けられています。他者は存在していますが、真の意味では存在せず、「私」と「それ」、物体のような関係です。

世界は、私を幸福にしてくれるため、私の目的を達成させてくれるための手段です。

「私」と「それ」

人を条件で見るということは、私達の社会に深く浸透している価値観です。

「この人は(ものは)私をどれだけ幸せにしてくれるか」

「私の願いを叶えてくれるか」というフィルターを通して、世界を見つめます。

同じようなことが起きます。自分の配偶者、子供、親に対して。友人知人、同僚、従業員、部下、生徒、ご近所さん。

例えば、ピーター・スキャゼロは著書Emotionally Healthy Spirituarityの中で「私とそれ」は次のような関係だと言っています。

  • 挨拶もせずに入ってきて、自分の仕事を部下に丸投げする。
  • ミーティングでは、組織図の上で人を物のように、あるいは人間以下の存在のように動かす。
  • 妻や子供たちが自分の自由、夢、自律性を持っていないかのように扱い、彼らが私の頭の中にある絵のようになることを期待する。

Scazzero, Peter. Emotionally Healthy Spirituality (p. 173). Zondervan. Kindle Edition. 第7章、I-It relationship

社会に生きるということは、私達が「それ」として扱われる過程を通過することかも知れません。学歴、容姿、経済力、コミュニケーション能力でラベル付けが始まります。受験戦争、就職活動、数多のマウンティング。インターネットや宣伝広告では、他者を商品のように見つめ、消費して、生きている。

「なんじ」のあなた

イエス・キリストは「それ」として扱われている私達に、「なんじ」と呼びかけます。「なんじ」は、私達が根本的にどのような存在なのか、神は私たちをどのように創造したのか、思い出させる語りかけです。

キリストは、悩む人、苦しむ人の声を聞き、立ち止まり、ひざをかがめ、彼らの表情をご覧になった。彼らに触れ、会話し、癒やし、立ち上がらせ...。キリストと虐げられている人たちの物語は、一人ひとりが、敬意を払われるべき存在だという、神の愛を示すものです。

キリストのいのちが私達の中に生きるということは、私達もまた、キリストのように世界に「なんじ」と呼びかけることです。

「なんじ」を認めるとは、言い換えると他者を他者として、認める、尊敬するということとも言えるでしょう。キリスト教的視点で考えると、神が「私」を大切にしてくれるように、他者を理解し、認識する。他者も、神にとっての「なんじ」だからです。

他者は自分の世界の延長線ではなく、自分とは違う意思と願いを持った存在として、独自性と分離を尊重することです。

抽象的な話が続いたので具体的に考えてみましょう。

「それ」から「なんじ」へ

「私とそれ」は私達の価値観に深く染み込んでいます。例えば次の通りです。

  • 恋人、家族、配偶者はあなたを幸せにし、仕えてくれる対象だと思っています。
  • 子供はあなたの社会的なステータス、幸せの基準を満たすための手段。
  • 他者とどちらが優れているかということをいつも考える。他者を自分の地位を脅かす存在だと考え、排他的になる。
  • 奉仕する人は良い信仰者、そうでない人は、信仰が劣っている人。

「我となんじ」の関係を築いていくために、関わり方をどのように変えることが出来るか、考えてみましょう。例えば...

  • 配偶者が何を感じ、何を経験しているか、願っていることはなにか、耳を傾けて、理解してみましょう。彼らの願いを実現してみましょう。
  • 子供さんの価値観とペースを尊重してみましょう。何が好きで、何をしたいと言っていますか。
  • 排他的な人。自身の心の内側に起きていること、感じていることは何でしょうか?他者に対し、どのようにすればキリストの愛で行動できるようになるでしょうか。
  • 信仰者の良し悪しの基準が、キリストの姿勢と眼差しを反映していますか。その基準は誰のものですか?聖書と神の基準を自分自身が身につけるためにはどうすれば良いと思いますか?

実際生活で「われ-なんじ」を実行することは、簡単なことではありません。社会は、「われ-なんじ」のために形成されてはいないからです。

私たちの人との関わりは、非常に早い速度で変化します。また、「われ-なんじ」の関わり方を虐待・暴力、搾取的な関係に持ち込むことは危険です。

ですので、全てにおいてとは、言いません。あなたの周りの少しの人、大切な人、今日出会う人に、「なんじ」として接してあげてみてはいかがでしょうか。

あなたを通して、神の眼差し、語りかけが、人の心に届けられると思うのです。




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